向徳寺(曹洞宗)

〒759-4623 山口県長門市油谷向津具下3213

電 話/0837-34-0360

FAX/0837-34-0360

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【御詠歌】

 有り難や 薬師に願い 合わす手の

やさしき姿 あじさいの寺

 

【玄鷲和尚の開創】

 山口県の北西部、日本海に突出した油谷半島の中ほどに向徳寺がある。旬の草花が色を添える境内に、大層な伽藍を構える。雄大な屋根の反りにも魅せられた。かつて日本画の老大家が、何の変哲もない屋根瓦に美を求めて、不屈の名作を発表したことがある。この屋根には、そうした人の心を惹く職人の技が生きている。

 「全国寺院名鑑」に、略縁起を記す。

-元和二年(1616)山口県長門市大寧寺十八世・鉄村玄鷲和尚の開創で、当時は向津庵と称していた。

天明四年(1781)正福寺の本尊薬師如来並びに日光・月光菩薩に、十二神将像を当寺に安置した。明治初年に大浦の海徳寺と合併して向徳庵と号したが、昭和になって向徳寺と改称した。

長門の大寧寺は、永享年間(1429~41)守護代鷲頭弘忠の創建。あるいは一説に応永年間(1394)大内教弘が創建したともいう。開山は智翁永保であるが、師の石屋真梁を請うて一世とした。石屋禅師は福昌寺(薩摩国)から招かれた高僧で、藩内の教学史上に大きな足跡を残した。

玄鷲和尚は、福岡県の人、俗姓は小川氏。出家して聖福寺の卜雪について童子となる。のち関東方面に遊歴するも、大寧寺の関翁珠門の道化を聞いて室に入る。関翁の寂後、貴雲に参禅して玄旨を受けた。辞して総持寺と大寧寺を往還、周防に戻って玄済寺、豊前の羅漢寺を復興するも、その席を譲って向津村に庵を結び、隠居したのが向徳寺の創まりである。

 

 【道順】

電車・バスの場合=JR山陰本線・人丸駅から大浦行きバスで三十分、「向徳寺」下車、徒歩三分。人丸駅からタクシーで十五分。向津具半島のほぼ中央部。

車の場合=国道一九一号線久富付近で北浦広域農道へ、県道より、大浦方面に向かう。大浦漁協の手前。大型駐車場あり。普通車30台可。大型バス1台のみ可。

 


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