〒716-1131 岡山県加賀郡吉備中央町上竹5600
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【御詠歌】
おおまつは やくしのみこへ つたえつつ
てらのむねむね ふかくしずけし
【県下屈指の古刹】
賀陽町は、上房郡の南部に位置する高原地帯、近年に五カ村が合併した。町名の由来は、神代といわれるころ、 備中に伽夜の臣と名乗る豪族が支配していたことにちなむ。辺りは、岡山自動車道の開設に伴う賀陽インターができて、山間の風景も大きく変貌した。大村寺は、 賀陽インターの近くにある。
これまでは交通の便が禍して、訪れることもままならなかったが、高速道路が通り、一躍脚光を浴、びるようになった。
寺伝によれば、聖武天皇の勅願により、行基菩薩の草創になる。本尊は秘仏の楽師如来、法量五尺の坐像で、脇侍は日光・月光両菩薩、 眷属の十二神将をまつる。
往時は子院十二坊を有して、盛運をきわ めていたが、中興開山・実智上人 (備中誌は実相) が、六波羅蜜を表して六坊を構え、法相宗から天台宗に改めたという。
磴の右手に、 二代目錦松がそびえる。かつては樹齢三百五十年、高さ約三十メートル、周囲四・五メートルの巨松があったが、昭和四十一年に樹齢を終えた。 往,時を偲ぶ歌碑に、
静寂の高きすがたに大松は ひたすらたてり天のまなかに
と刻む。
錦松の根方に、層嶂の庭がある。作庭の趣は、緩舒な吉備高原を芝生で表現、白砂を配しして雲海とする。設計したのが、近代庭園の始祖・重森三玲氏の愛弟子である西谷康男氏である。
仁王門は、三間一戸の八脚門である。無論、 左右の籠居に金剛力士を侍らすが、 手にした宝塔は 、行基菩薩と実相上人の供養塔であるという。
実相上人は、字を円照。十五歳のとき 東大寺の良忠に師事して以来、八宗を兼学した名僧である。これより段丘にある宝形造りの本堂は、弘化四年(一八四七)備中松山城主・板倉周防守勝職が再建したものである。
【主基斎田と寺宝】
天皇のご即位に際して、行われる御一代一度の儀式が大嘗祭である。その斎田に、 悠紀・主基がある。悠紀は近江、主基は丹波、備中が交互に選ばれる。斎田に選ばれるということは、大変な名誉である。
後一条天皇の「主基斎田」 に、この大村山が献詠された。その喜びは察して余りあるが、『大嘗会和歌集』 に、長和五年(一〇二六)十一月、善滋朝臣為政の詠む歌がある。
君が代は ねさしとどむる とみ草の
大むら山に 見ゆるたのしさ
本堂の側に、形の整った宝塔がある。基礎から相輪まで二百三十五センチ、一部に火災の跡が見られるものの、全体に鎌倉末期の様式を伝える貴重な石造文化財である。
この他に高速道路の建設にあたり、 大村寺遺跡より大量の五輪塔が出土した。中近世の古墳群としては、県下最大の規模である。
古文書の他には絵画では、日本肖像画の大家、総理大臣賞を受賞した秋山清水氏が、 内仏の格天井を花鳥風月で飾る。軸物では、飛天奏楽図などを所蔵している。