勇山寺(高野山真言宗)
〒719-3152 岡山県真庭市鹿田482
電 話/0867-52-0454
FAX/0867-52-0454
【御詠歌】
ゆるぎなき 佛の慈悲を あ於ぐみは
いざやまでらに いそぎまいらん
【山裾に鎮まる古刹】
岡山県の西北部に位置する落合町は、 かつて旭川を行き交う高瀬舟の上限地で、木山寺と神社の門前町として栄えたところである。
最近は町域内を中国縦貫自動車道が通り、落合インターが設けられたことで、寒村の文化を逍遥する人たちが増えたという。
落合インターから街路を抜けた山裾に、古刹の勇山寺がある。段丘の境内は横一文字の伽藍を配り、白亜塀を構えた軒に「国宝 薬師如来と不動明王」と記す。
はじめに『真庭郡誌』から紹介しよう。
創立は神亀三年 (726) にして、本尊の薬師如来は行基の作、 不動明王と二童子は空海の作にして、 何れも明治二十四年に甲種国宝の 指定を受ける。
建久元年(1190)源頼朝の命によ り、梶原景時が再建した。以前は天神山と称したのを大寺山と改め、寺領百石を寄付す。往時は名光寺、上寺、太平寺の末寺を擁したが、戦国時代の兵燹に罹りて焼失。天正十四年(1586) 森忠政が崇信して寺領二十石を寄せる。
九条道家惣処分状によれば、鎌倉時代の前期ごろには道家の建てた東福寺の末寺の一つで、道家の祈願所であったともいう。
【国宝・薬師如来と不動明王】
薬師如来坐像は、像高が177.5センチ、寄木造り、漆箔を施す。右手を曲げて胸前にあげ、左手を広げて膝上に置き、左足を上にして結跏趺坐する一般的な像容である。
台座・光背・左掌上の薬壺は後補である。裳先裏に「明暦二年(1656)卯月吉日」の修理墨書銘があり、像自体は室町時代作と判断。俗に周丈六の坐像という。
不動明王坐像は、像高187センチ、檜材の一木造り、彫眼、右手に剣を執り、左手に羂索を握る。右眼を大きく開き、左眼は細目に歯牙をむき出して、弁髪を左肩にたらし、右足を上にして結跏趺坐する。寺伝では、弘法大師作となっているが、様式上から十世紀代、平安時代の後期初頭ごろの作と思われる。
二童子のうち矜羯羅童子は、像高144.3センチ、檜材一木造り、彫眼・頭・体部から脚部まで一材で彫成。脛部は後補である。
制咜迦童子は、像高151.3センチ、檜材一木造り、矜羯羅童子の作りに類似する。身体は古色仕上げで、脛部は後補である。
この不動明王と二童子は、ともに顔面は深く、面貌は怪異な表現がなされているが、室町時代ごろの彫り直しが多く認められる。昭和四十年に三躰とも修理された。
解説は、『岡山県の文化財』より要点だけを抜粋したが、寺伝によると、不動明王と二童子は成田山の姉妹策にして、日本三体不動の一つである。また本尊の薬師如来は秘仏で、三十三年ごとに開扉するが、行事には庭儀大曼荼羅供を厳修するという。
本堂は、町指定文化財。他に「山名忠政書状」や「牧藤左衛門尉家信書状」などの古文書を所蔵している。