延命寺(高野山真言宗)

〒699-0603 島根県邑智郡邑南町下口羽1422

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【御詠歌】

 たのんだら お礼をせずば 御利益が

消えてしまうぞ この世のちの世 

 

【護摩堂の金縛り不動】

 中国山脈を横切り、蛇行して日本海にそそぐのが江の川である。中国一のこの河川に「河童の手紙ことづけ」という伝説がある。

 河童は、水神の眷属ともいわれる。とくに大きな河川の流域に住み着き、人間との出会い、智慧くらべなど、さまざまな民話が語り継がれてきた。

 江の川の河童は、粕淵村(邑智町)に出没した女神の類であるが、河童とは関わりなく、さらにさかのぼると、広島県境の両国橋を渡った高台に延命寺がある。『口羽村誌』にはこう記す。

 文明十六年(1484)僧宗慶の開基とされており、琵琶甲城主・口羽通良公(毛利輝元の筆頭家老で志道広良の子)の祈願道場であった。

 開基以来、五百余年を経ており、村内では最古の寺院であり、現本堂も二百数十年を経た建物である。なお境内には護摩堂、六地蔵をまつる地蔵堂の他に、五百年を記念して山門・梵鐘も新しく設けられた。

 口羽氏は関ヶ原の合戦の後、毛利氏とともに萩市に移る。現住職の秀典師は、第二十七世後胤である。

 護摩堂に不動明王を安置。脇侍に矜羯羅童子と制咜迦童子を侍す。運慶作と伝えられている。

 この尊像がどういうわけで、延命寺に勧請されたかは定かではないが、京都の北野天満宮誌に「東門を入って南側にあったところの法華三昧堂の観音、地蔵、不動、愛染の諸仏の一つと察せられる」と記す。

 数ある霊験譚の一つとして、泥棒が盗んで逃げようとしたが、足腰が立たず、意識は朦朧として、護摩堂の周りを徘徊していた。畏れを感じた泥棒は、包みを放り投げて逃げ出したという。

 後日譚に、ある富豪がこの像に祈願して、心願成就した。その効験を忘れていたある日、身体の不調を訴えた。神占いすると、功徳の薄謝を忘れていた。それを施して癒えたとか、俗に「金縛り不動」と称す。

 

【謝恩の石段】

 嘉永四年(1851)である。早魃に悩まされていた村民を憂えて、住職の円雄師は琵琶甲城趾に籠もり、雨乞いを祈願すること七日間、満願を迎えて沛然と降った。村民はこの苦行に報いんとして、だれいうともなく相謀り、約二十五間・五十段の石段を築いた。

 その後、二十四世聖雄密伝師の代に、参道の入口に由来を刻した石柱を建立、長くその徳をたたえて「謝恩の石段」と命名した。

 秀典師は高野山大学卒業後、東京で会社員をしていたが、Uターンののち村の教育委員会勤務を経て寺に専念、さまざまな地域活動も続けている。本堂に歌手の加藤登紀子女史が揮毫した扁額を掲げる。

 本尊の地蔵菩薩は、文化十年(1814)京仏師西山清助作。他に三十三観音像・弘法大師像・口羽通良氏肖像などがある。寺宝に、十六善神画像・宝永七年(1710)鋳造の吊鐘などがある。裏山に熊野権現をまつる。

 道場の評価は、建物の新旧ではない。

 総じて、祈りの姿勢である。


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