長昌寺(天台宗)

〒689-4213 鳥取県西伯郡伯耆町金屋谷984

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【御詠歌】

 

 

 

 

 伯耆大山の西麓に位置する。

 旧溝口村は、街道の宿場町として栄えたところで、江戸時代末期には寺⼩屋(黌校)を開校するなど、教育にも熱⼼ な土地柄である。

 長昌寺は、眼前に雄大な大山の稜線を望む村里にある。寺伝によると、寛永十五年(一六三八)相沢呑丘が創建。寛文十年(一六七〇)大山寺領内の滅罪道場として天台宗に属した。

万治三年(一六六〇)四月、胤海が境内地五十間四方を賜り、現本堂を建立した。庫裡は文化十一年(一八一四)十月建立、昭和十二年に本瓦葺に改める。位牌堂はじめ他の堂宇は、その後、昭和三十八年までに新築した。境内二千三百坪の広さを誇っている。

 一方、『天台宗寺院大観』には、「本尊は阿弥陀如来(⼀尺二寸五分座木造)。寛永十五年(一六三八)永平寺呑牛和尚開基、寛文十二年(一六七二)第⼆世栄海より本宗となる。本堂・庫裡・薬師堂・長屋・境内地四三二坪・墓地・山林・田畑などあり」と記す。

 続いて、位牌堂と前の薬師堂がある。

 ことに薬師堂の像は、俗にいう半丈六仏で、光背にいささか破損が見られるが、像容は古仏の趣がある。あるいは時代の流れでそうなったか、薬壺を持たない像は希である。

 薬師如来が薬壺(三形)を持つか持たないかについて、澄豪の総持抄に、次のような問答がある。

「仏部の尊は、薬壺(三形)を持するはなし、然るに世に流布の薬師は、薬壺を持するの意、如何に」と問う。

 これに対して、「三形を持するは、奝然法師の初めてこれを持せしむ。故に叡山根本中堂は持せず、室生寺の薬師立像にも持物なし。 是れ薬壺は宝珠とその形相を類するにより、後世に至り、薬師の称号に因みてこれを薬壺とせるなり」答えている。つまり後世になって、阿弥陀如来と区別するのに、薬壺を奉持するようになったというのである。


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