〒682-0634 鳥取県倉吉市桜354
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【御詠歌】
春の日も いつしか暮れて いりあいの
桜の寺の 鐘も聞こゆる
山紫水明の倉吉市は、天平の昔に伯耆国分寺があった。市域には弥生時代の遺跡が多く、近隣に湧き出る温泉もまた旅の魅力であろう。
大日寺は、天神川の支流、国府川に沿った大山丘陵の奥部に位置する。この地方屈指の古刹で、文化財の宝庫としても有名である。
寺史は、『寺院名鑑』にこう記す。
――源信の開創という。規模は高野に則り大伽藍で、上院・中院・安養院にわかれて三百余りの坊舎が中興して現在に至る。付近に大伽藍址と認められる礎石が多数ある。
此れを基に考証を加えてみよう。
源信の開創について、弘化二年(一八四五)銘がある『伯州桜山大日寺略縁起』によると、永延二年(九八八)とする。また『伯耆民話記』にも同じことが見える。
一方、近年の著には承和八年(八四一)円仁が創建、永延二年に源信が再興したと記すが、資料が乏しいこともあって、推測の域を出ないという。
そこでさらに想像を逞しくして、近隣の古刹と円仁(慈覚大師)の関係を調べてみると、大山寺には貞観八年(八六六)、三仏寺には嘉祥二年(八四九)、摩尼寺には承和年中(八三四~四八)に、いずれも帰朝の途に立ち寄ったことを伝えている。
問題は、円仁がいつ入唐したかである。『入唐求法巡礼行記』によれば、承和五年(八三八)に入唐、同十四年(八四七)帰国している。
従って、近年の著は創建の時期を曖昧にしているが、碩学がいうように、事があるためには必ず由ってきたる根源と、移り変わりのあとかたがある。これを史実に沿って記録したものが、世間でいう縁起である。その縁起を、改めて詮索する要もないだろう。